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長編小説の勉強1●菊池寛「真珠夫人」3
三
汽車がプラットホームに、横付けになると、多くもなかつた乗客は、我先きにと降りてしまつた。此の駅が止まりである列車は、見る/\裡に、洗はれたやうに、虚しくなつてしまつた。
が、停車場は少しも混雑しなかつた。五十人ばかりの乗客が、改札口のところで、暫らく斑《まだら》にたゆたつた丈《だけ》であつた。
信一郎は、身支度をしてゐた為に、誰よりも遅れて車室を出た。改札口を出て見ると、駅前の広場に湯本行きの電車が発車するばかりの気勢《けはひ》を見せてゐた、が、その電車も、此の前の日曜の日の混雑とは丸切り違つて、まだ腰をかける余地さへ残つてゐた。が、信一郎はその電車を見たときにガタリガタリと停留場毎に止まる、のろ/\した途中の事が、直ぐ頭に浮かんだ。その上、小田原で乗り換へると行く手にはもつと難物が控へてゐる。それは、右は山左は海の、狭い崖端を、蜈蚣《むかで》か何かのやうにのたくつて行く軽便鉄道である。それを考へると、彼は電車に乗らうとした足を、思はず踏み止めた。湯河原まで、何うしても三時間かゝる。湯河原で降りてから、あの田舎道をガタ馬車で三十分、どうしても十時近くなつてしまふ。彼は汽車の中で感じたそれの十倍も二十倍も、いらいらしさが自分を待つてゐるのだと思ふと、何うしても電車に乗る勇気がなかつた。彼は、少しも予期しなかつた困難にでも逢つたやうに急に悄気てしまつた。丁度その時であつた。つか/\と彼を追ひかけて来た大男があつた。
「もし/\如何です。自動車にお召しになつては。」と、彼に呼びかけた。 見ると、その男は富士屋自動車と云ふ帽子を被《かぶ》つてゐた。信一郎は、急に援け舟にでも逢つたやうに救はれたやうな気持で、立ち止まつた。が、彼は賃銭の上の掛引のことを考へたので、さうした感情を、顔へは少しも出さなかつた。
「さうだねえ。乗つてもいゝね。安ければ。」と彼は可なり余裕を以て、答へた。 「何処までいらつしやいます。」 「湯河原まで。」 「湯河原までぢや、十五円で参りませう。本当なれば、もう少し頂くので厶《ござ》いますけれども、此方《こつち》からお勧めするのですから。」
十五円と云ふ金額を聞くと、信一郎は自動車に乗らうと云ふ心持を、スツカリ無くしてしまつた。と云つて、彼は貧しくはなかつた。一昨年法科を出て、三菱へ入つてから、今まで相当な給料を貰つてゐる。その上、郷国《くに》にある財産からの収入を合はすれば、月額五百円近い収入を持つてゐる。が十五円と云ふ金額を、湯河原へ行く時間を、わづか二三時間縮める為に払ふことは余りに贅沢過ぎた。たとひ愛妻の静子が、いかに待ちあぐんでゐるにしても。
「まあ、よさう。電車で行けば訳はないのだから。」と、彼は心の裡で考へてゐる事とは、全く反対な理由を云ひながら、洋服を着た大男を振り捨てゝ、電車に乗らうとした。が、大男は執念《しふね》く彼を放さなかつた。 「まあ、一寸お待ちなさい。御相談があります。実は、熱海まで行かうと云ふ方があるのですが、その方と合乗《あひのり》して下さつたら、如何でせう、それならば大変格安になるのです。それならば、七円丈《だけ》出して下されば。」 信一郎の心は可なり動かされた。彼は、電車の踏み段の棒にやらうとした手を、引つ込めながら云つた。「一体、そのお客とはどんな人なのだい?」
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